カナタ 二章 水の町 1




「そろそろ行くか」

朝食を終えた机から立ち上がり、荷物を肩に背負いながらジルは声を掛けた。
「今日の午後にはヴィン村に着くぞ。良い村らしいから楽しみにしとけ」
席に座っているラシータとフィリカに笑いかけ、ジルは店主の元に会計をしに向かう。
昨日シグウスが大々的に身分を明かしたため、朝食も妙に凝った料理が出てきた。会計をしにきたジルに対しても縮こまってしまっている。ジルは若干の居心地の悪さを感じながら財布を取り出した。
自分の荷物を確認して立ち上がろうとしたラシータは、フィリカがぼんやりと前方と見つめていることに気付いた。
視線の先には、店主と話すジルの背中。

「フィリカ。仕度」
「あ。うん、そうね、ありがと」
呼びかけにはっとした様子で、フィリカものろのろと立ち上がった。
「…なんかあったのか」
「え?」
「朝からぼーっとしてる」
「え、いや別に、大丈夫よ。ちょっと眠いだけ。行こ」
取り繕うように笑顔を見せ、フィリカは自分の分の荷物を持った。ラキの街を出るときにジルに渡されたものだ。中には服やら下着やら旅に必要な物が入っていて、リナリアが見繕ったとのことだった。
ラシータは怪訝そうな顔をしたが、続いて自分の荷物を持ち扉へと足を向けた。

「挨拶もなしか、随分だなラシエルハルト」
朝に似つかわしくない険しい声。シグウスがヴァレンを伴って階段から降りてくるところだった。
ラシータの表情が一瞬にしてこわばる。そしてシグウスが階段を降り終わるのを見計らって丁寧に一礼した。

「…失礼いたしました、兄上。お休みのところを煩わせるのもと思いましたので」
「私が惰眠を貪る人間だと思うか」
「いえ、決してそのような。失礼を」
「…まぁよい」
シグウスがまっすぐに目の前まで歩いてくる。ラシータの背筋が伸びた。
「この旅はそなたにとって見識を広げる意味でも重要なものだ。多くのことを学ぶことで私が法皇となったときの良き片腕になることを期待する。励め」

すでに自分が法皇になることが決まっているかのような口ぶり。慣れているのか、ラシータは表情も変えず「はい」と返事をする。

「それでは私たちはヴィン村に向かいます。お会いできて光栄でした、兄上。失礼します」
ジルが会計から戻ってくるのを見計らい、ラシータは丁寧に礼をとって宿の扉へ向かった。ジルも背負った剣を床に突かせて深く頭を下げてから後に続く。
フィリカはどうしたら良いのかわからず、頭を下げるだけの挨拶をして小走りで二人を追った。
途中で一瞬だけヴァレンと目が合った。その視線の鋭さとぎらぎらと宿る憎悪の色にどきりとして、あわてて目を逸らす。
ラシータが開いた扉からは目が痛くなるくらいの日差しが飛び込んできている。三人は視線から逃げるように、外の光へと身をゆだねた。


「あーーーーーーーーーまどろっこしかった!」
村から出て街道を歩き始めた瞬間、ジルが大きく伸びをしながら叫んだ。

「どーもああいう雰囲気は堅っ苦しくて苦手なんだよなぁ。ラシータよく舌噛まないな」
けだるそうに言うジルに、ラシータは呆れたように唇をとがらせた。
「…いつものことだけど、ジルと居ると何が普通なのかわかんなくなる」
「ん?まぁいいじゃねぇか、温室育ちには俺みたいなのを見てても良い社会勉強になるだろ」
「都合よく解釈しすぎだっ!」
そのやりとりを聞いていたフィリカは、一瞬あれ、と思う。
なんだか二人の雰囲気が昨日までと違う。
うまく言えないけど、なんだか少し対等な感じになってる気がする。

「どうしたの、フィリカ」
ラシータに声を掛けられはっとする。またぼんやりしてしまっていたようだ。
「あ、ううん。いい天気でよかったなぁって」
「あぁ」
言われて気付いたように、前を歩くジルが目を細めて青空を仰ぎ見る。
「…言われてみれば、フィリカと会ってからずっと晴れだな」
そう言う声音にわずかな違和感を感じ、フィリカはジルの横顔を見上げる。青空を見上げているようで何も見ていないような、思わずどきりとする横顔だった。
なんとなく焦って、フィリカは次の言葉を探す。
「ね、雨って降るの?」
「そりゃ降るだろ、今は水の季節じゃないから少ないけどな。雨の旅はめんどくさいからなぁ。ラシータ精霊様に頼んでくれ。いい天気でありますようにーって」
「そ、そんなのアリなわけ?ラシータ」
「…ジルの言うことをまともに信じちゃだめだフィリカ」
にやりと笑うジルはいつものジルだった。フィリカは少しほっとしたような釈然としないような気持ちになる。
軽い足取りで前を歩くジルの背中をこっそりと盗み見する。

我ながら甘えすぎだな、と思う。
右も左も、ましてや自分のことすらわからない状態で出会って、安心して一緒に来いと言ってくれた人。

(なんだか刷り込みみたいだなぁ)

そう思い当たって、フィリカは苦笑した。
びっくりするくらいジルの一挙一動に左右されてる気がする。
秘密にされたら寂しくなるし、見たことない表情を見たらどうしたらいいかわからなくなる。

リナリアやシグウス達の反応を見れば、ジルとラシータが自分にどれだけ良くしてくれているかがわかる。
これ以上何を望むというのだ。ましてや寂しいなんて。


不毛な考えを振り切るように軽く頭を振って、フィリカは二人の背中を追って歩き続けた。








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