カナタ 二章 皇族 6
「…さっき、ヴァレンが来たけど」
ジルが部屋に戻ると、部屋の隅にある椅子に座ったラシータがそっぽを向きながら呟いた。
内心で苦笑しながら、ジルはできるだけ軽い口調を心がけて答えた。
「あー、あいつフィリカの部屋まで来たぞ。言いたいこと言って出てったけどな。お前もなんか言われたか?」
「…俺には、何も」
「そーか」
言いながらジルは自分のベットと荷物を確認し始めた。
「俺も、ジルのこと何にも知らないんだ」
ラシータがぽつりと呟き、ジルは荷物を見ていた顔を上げる。
「俺がジルに言ってないことがいっぱいあるみたいに、ジルだって俺に言ってないこと、いっぱいあるんだろ。でももし俺が話せって命令したら、ジルは俺になんでも言うんだよな。それが簡単に言いたくないことでも」
「…まぁな」
返事をしながら、ジルはラシータの向かいのベットに腰を降ろした。そっぽを向きながらもラシータは言葉を続ける。
「そんなの俺は嫌なんだ。命令なんかじゃなくて、ジルが話したいときに話すのがいいんだ。だから俺も話したくなるまで言わない。聞け、なんて命令もしない。ジルにもフィリカにも。でもいつか絶対話す。ちゃんと自分で納得できたら、自分の言葉で話す。今ずっと考えててそう決めた」
そこまで黙って聞いていたジルは、おもむろに立ち上がってラシータに近付いた。
ラシータが気配に気付いて顔を向けようとした瞬間、いきなり頭をがしっと掴まれ心臓が飛び出しそうになった。
気付くと琥珀色瞳が目の前にある。椅子に座ったラシータに目線を合わせるために片膝をついた姿勢だ。
「な、な、なんだよいきなり!」
返事の代わりといわんばかりに、ジルはそのままがしがしと力強くラシータの頭を撫で回した。
「やめろよ気持ち悪い!なんなんだーーー!」
ぐわんぐわんと回る視線にラシータは必死に抵抗する。しばらく翻弄され、目が回り始めたころにようやく開放された。
ぼさぼさにされた髪を押さえながら恨みがましくジルを見ると、悪戯っぽい、でも嬉しそうな瞳がまっすぐにそこにあった。
「さっきフィリカにも怒られた。ごめんな」
「あやまるくらいならいきなり撫で回したりすんなよ!」
「そっちじゃねぇ。いや、ごめんなっていうのもおかしいか。ありがとな。俺の守護する皇子がお前でよかった」
「はぁ!?」
唐突に感謝され、ラシータは丸くする。その反応を見て、ジルは目を細める。
「俺もお前が思ってるより全然大人じゃねぇよ。リナリアにもヴァレンにも説教されるし、未処理のまま蓋してるものもいっぱいあるんだ。お前とそんなに変わらねぇだろ」
ヴァレンに言われた言葉を思い返す。
『罪人の血を持つ貴様なんぞに指図される覚えはない!』
罪人の血。
言われ慣れている言葉だった。それでも苦い想いは反射的にこみ上げるし、尋ねられても簡単に話すことなんかできない。
自分の内面にずっとずっと巣食っているどろどろした感情を、醜い己を、否が応でも自覚してしまう。
先程のフィリカの寂しそうな瞳が脳裏をよぎる。
それでもまだ誰にも触れられたくないのだ。
だけど。
目の前のできょとんと自分を見つめる、十以上も年下の少年を見る。
この少年は戦おうとしている。蓋を開けてきちんと向き合おうとしている。
「俺も自分で納得できるように努力する。んで、話したくなったら話す。そんときは聞けよ」
笑いながら、それでも真剣に言われていることがわかり、ラシータも姿勢を正して頷いた。
「…わかった。聞く」
「ん」
満足したように微笑み、軽くラシータの頭をくしゃりと撫でてジルは立ち上がって自分のベッドへと戻った。
「…フィリカも」
「あ?」
ラシータがぽつりと呟く。
「フィリカがどんな過去を持ってて、どうして記憶がないのか。もしこれからの旅でわかっても、俺は受け止めたい。シグウス兄上が言うみたいに不必要な感情なのかもしれないけど」
「…お前」
なんでそんなにフィリカを気にかけるんだ。
とっさに飛び出しそうになった言葉を、ジルは飲み込む。
最初からそうだった。いくら同情しているにしても、ラシータのフィリカの案じようは“かわいそうな少女”に対する態度からは明らかに行き過ぎている。
気付いてはいたが、冗談にするだけで尋ねたことはなかった。
(フィリカが…カルラ族だからか)
深刻な表情で思考を巡らせるジルに気付いて、ラシータは表情を曇らせた。
「どうせガキの甘さだとか言うんだろ。でも俺はもう決めたからな」
「…あ?いや言わねぇけど」
「だったらなんだよ」
ラシータ本人は無自覚か。
なら聞いても無駄だろうとジルは結論付け、ひとまず思考を止める。
ラシータはいつか話すと言ったのだ。考えるのはそれからでいい。
「なんでもねぇよ、お前が決めたならそうしろ。早く寝ろよ、明日も早いんだからな」
「一言余計なんだよっ!」
ラシータは頬を膨らませて抗議した。
それを見て噴出しそうになったが、ジルはいつものように続けてからかう気にはならなかった。
ラシータを子供扱いできるほど自分は大人ではないし、ラシータも子供ではないのだと苦く思った。
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