カナタ 二章 皇族 5
「罪人の血って」
沈黙に耐え切れず、フィリカは小さく口にした。ジルは反応を示さない。無言でヴァレンの出て行った扉を見つめている。フィリカの位置から表情は見えない。
その背中になんとなく寄りがたいものを感じ、フィリカも口を閉ざした。
しばらく沈黙が続いた後、ジルがゆっくりと振り向いた。
「…お前、なんつか怖いもの知らずだな。ヴァレンに対してあそこまで言う女リナリア以外で初めて見たぞ」
微笑を浮かべて言うジルに、フィリカは肩透かしを食らった気分になる。
「…だって言われて単純に気分悪かったし我慢できなかったんだもん。まさか殴られそうになるとは思わなかったけど」
「あいつは貴族出身だからな、男尊女卑というかそういうのが強いんだ。女に侮辱されてさぞ屈辱だったんだろ。俺は聞いてて気分良かったけどな」
ジルはにやりと意地悪く笑った。それを見たフィリカは頬を膨らませる。
「…だったら自分で怒ればいいのに。適当に聞き流してるんじゃなくて」
「あいつと喧嘩するとキリがねぇんだ。価値観の違う相手と言い合うほど不毛はもんはねぇよ。結局最後にはお前につられて喧嘩売っちまったけどな」
「うわ人のせいにしてる」
「お前のせいだろ」
「…ジルのガキ」
「うるせぇガキ」
ひとしきり言い合ったあと、「さて」とジルが一息入れる。
「そろそろあいつの機嫌も直ったころだろ、そろそろ部屋に戻る。また明日の朝迎えに来るからゆっくり休めよ。もしヴァレンやら皇子やらが尋ねてきたら呼びに来い。おやすみ」
「あ」
言いながら扉に手をかけていたジルは、フィリカの声に振り返る。
『罪人の血を持つ貴様なんぞに指図される覚えはない!』
ヴァレンの叫びが脳裏によぎる。
「…なんだ?」
いつも通りの笑みをたたえながら、ジルはフィリカを見つめる。
その穏やかな表情になぜか冷たいものを感じ取り、フィリカは言葉を飲み込んだ。
「…ううん、なんでもない。ラシータ機嫌直ってるといいわね」
「じゃないと俺が困るんだけどな。適当に祈っててくれ。じゃ、行くぞ。おやすみ」
「おやすみなさい」
飄々とした様子でジルは部屋を出て行った。
その扉の前でフィリカはぼんやりと立ち尽くす。
ヴァレンの言葉。
それを聞いた後の背中。
黙殺された問う言葉。
最後の微笑み。
目の前を突然大きな壁でふさがれたようだった。
感じたのは不安と心細さ。
ジルが名付けてくれてから久しく忘れていた感覚だった。
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