カナタ 一章 約束 4




「…あの子は?」
「お部屋でお休みになられています。先程夕食を部屋にお運びしましたが、眠っておられるようでした」

ラシータが聖地から戻ると、真っ先に少女の世話人の女性を呼び出した。
女性の返事を聞き、案ずるような表情を浮かべる。
それに気付いたジルは、ラシータの頭に手を載せた。
「心配だったら食事の後にでも部屋に行ってみたらどうだ。その頃には起きてるかもしれないだろ。とにかくお前は」
「…先に疲れを取れ、っていうんだろ。わかってるよ。食事まで部屋で寝る」
ジルの言葉を途中で遮り、ラシータは不機嫌そうに廊下を一人で歩いていった。世話人の女性は頭を下げ、ラシータが角を曲がるまでその姿勢を崩さない。
見送ったジルは小さく息を吐き、自分も一度部屋に戻るか、と足を向けた。

「帰ってきたわね」

反射的に声の方向に目をやると、リナリアがいつの間にか後ろの壁に腕を組んでもたれていた。

「今日は?」
「あ、あぁ。とりあえずはこの聖地での巡礼は今日で切り上げることになる。明日にでも発つつもりだ」
一瞬動揺したが、ジルはすぐに立て直して返事を返した。
その返事を聞くなり、リナリアは壁から背を離し、ジルの正面に立った。

「あなたね、私に何を押し付けたのかわかってるの?相変わらず甘すぎるわ。少しは強くなったと思ってたけど何にも変わってないのね」
呆れたように言われ、ジルは情けなく笑う。
「…やっぱりリナリアにはかなわねぇな」
「当然でしょ。私を誰だと思ってるの」
リナリアは腰に手を当てて心外そうに言った。

――甘すぎる。
自分でも自覚していたことをはっきり指摘されると、やはり刺さる。
それも、よりによってリナリアに。

「何のために巡礼騎士になったのよ。あなたの名誉はあなただけのものではないはずでしょう。同情に流されて自分の志を忘れたの?」

反論できず、ジルは苦笑いを浮かべるしかなかった。
リナリアはいつもまっすぐだ。自分の信じたものを揺るがすことはない。

記憶喪失だと言い張る、カルラ族の娘。
そんな物騒な存在を、本当は完全に疑惑がなくなるまではラシータの側に寄せてはいけなかった。ましてや同情するなど。
ジルはつい目線を伏せた。

(ラシータをガキ扱いできる立場じゃねぇな)

自分が情けなくなる。簡単に試すようなことをしたものの、強がりながらも時折見せる少女の不安げな様子に同情を禁じえなかった。そもそもあの時、自分が倒されていたら誰がラシータの身代わりになるのか。ラシータが少女に寄せる優しさにも無意識に引きずられた。
彼女に対して果たして自分は冷静な判断が出来ていたのか、今となっては疑問である。

複雑な表情を浮かべるジルを見て、リナリアはふ、と頬を緩めた。

「…まぁいいわ。結局何事もなかったのだし、あなたが甘いことは今更だもの。その甘さがあるからこそ、“あの”ラシータ皇子の騎士が務まっているのでしょうしね。――あの娘は、本当に無害よ。今日話をして確信したわ」
ジルは反射的に視線を上げる。
「よろしくお願いします、って言ったのよあの子。私が何かあったらあなたを殺すから、って脅した後にね。私達を傷つけることを、あの子自身が一番恐れているのよ。あの子があの子である限り、たとえ『力』を取り戻したとしても、皇子やシャリエール様を害することはないでしょう」
それを聞いて、ジルは胸のうちで安堵の息を吐いた。
安心してしまった自分がまたひどく情けないが。

「…て待て。お前殺すとか言ったのか」
リナリアがさらりと言った物騒な言葉に思わず反応する。当の本人は嫌味なくらい満面の笑みだ。
「本当は剣先を喉元に突きつけるくらいしてもよかったのよ。でもそれは皇子に免じてやめておいたわ。私も甘いわねぇ〜」
楽しそうに言う様子を見て、ジルはがくりと肩を落とす。
「なんかもう…。俺は、本当にお前にはかなわねぇ…」
「あら、そう簡単にかなわれたら困るわ。私が認めるのは私より強い者だけよ。心も力もね。」
そう言われると立場がない。ジルはため息を付いて、気を取り直して口を開いた。

「それにしても。…カルラってのは、随分偏った部族みたいだな」
ジルの言葉に、リナリアも得心したように頷く。
「私も驚いたわ、あそこまで情報を遮断されているなんて。…恐らく、『巡礼』も含めた皇族関係の事は、カルラの上層部のみが把握してる事項なんでしょうね。確かにその方が皇族には都合がいいでしょうけど…」
「あぁ。そうすることで、カルラが『力』を使って皇族と対立する事態を防いできたんだろうな。…一体、カルラの上層部と皇族の間にどんな密約があるんだか」
ジルが皮肉を込めた口調で言い捨てる。リナリアは苦笑した。
「まぁそれは私達巡礼騎士が考えることじゃないわね。私たちの仕事は巡礼を無事に終わらせること。余計な事態がくっついてきてもそれは変わらないわ」
彼女らしいまっすぐな物言いに、ジルは笑みを溢す。
「そうだな。とりあえず、あいつをどっちが連れて行くかだが…」
「当然あなたたちでしょ。あの子私が脅したとき相当おびえてたわよ。私とずっと一緒なんて絶対嫌だと思うわ」
リナリアはにっこりと微笑み、当然のように言い切った。
「…お前、自分でそれを言うか。ていうか、それも計算ずくか?」
「さぁ?」
笑顔ではぐらかされたが、答えは目に見えている。彼女はこういったことに関しては本当に抜け目がない。

あぁもう、本当にかなわない。

ジルは何度目になるかわからない、大きなため息を付いた。
その様子を見たリナリアは意地悪く笑ったが、打ち消すようにすぐ真顔になる。

「旅立つ前から言われていたけど…やっぱり、今回の『巡礼』は何かがおかしいわ。今回のことも含めて何か異常事態が起こっているとしか思えない。十分気をつけて『巡礼』を続けることね」
「…そうだな。まぁ、結局は“やるべきことをやるだけ”、だけどな」
リナリアはその答えに満足したように微笑んだ。

「ま、あとはあなた次第よ。明日には次の聖地に旅立つんでしょ。慰めてあげるなら今夜のうちよ。あなたの“甘さ“は長所でもあるんだから、その左手にある似合わないものも早く渡してあげなさい」

ぎくりとするジルを見透かしたように言い捨て、それじゃね、とリナリアは颯爽と歩いていった。
残されたジルは、自分の手にあるものを改めて見つめ、自らの甘さを改めて思い知る。


脳裏に、不安定に揺らぐ緋色がよぎる。


自分は、今からでもリナリアのように彼女を疑うこともできる。昨日の自分の未熟さを払拭するかのように、それこそ徹底的に。
それでもそんなことしたって、自分の未熟さや甘さは消えない。


ジルは空いている手をきつく握り締めた。


自分は甘い。
リナリアはそれも承知で自分に彼女を託した。
それなら、今やるべきことは。


決意を込めた光を宿し、顔を上げる。
そしてまっすぐな足取りで廊下を歩き出した。









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