カナタ 一章 約束 3




少女が目覚めると、カーテンの外は明るくなっていた。
ゆっくりと身体を起こすと、ベットが大袈裟に軋む。一晩眠って目が覚めたら何か変わっているかもしれないと密かに期待していたが、少女は相変わらず自分が何者かわからないし、昨日以前の事も思い出せない。
少女が案内された部屋は、簡素だがきれいに整えられた広い部屋だった。白いシーツは陽だまりの匂いがし、中央の机には花が飾られている。
ふいに喉の渇きを覚え、ベッドサイドに置いてあった水差しに手を伸ばした。グラスに注ぎ、ゆっくりと飲み込む。冷たい水の感覚が喉に心地良い。

(…お腹空いたな)
寝起きで眩暈のする頭を奮い立て、ベッドから離れた。あれから何時間経ったのか。少女は窓の側に立ちカーテンを開けた。日ざしが目に染みる。
(――あ)
窓ガラスに映る自分の姿を見て、どきりとする。

自分はこんな姿をしていたのか。
見覚えがあるようで、初めて見るようで、なんだか不思議な気分だった。

(…あんたは誰)

心の中でガラスの向こうの少女に問いかけるが、返事は返らない。ため息をついて窓から離れる。

その時、扉がノックされる音が響いた。少女がはっとして見ると、扉がゆっくりと開かれるところだった。

「失礼します。…あぁ、起きておいでですね」
入ってきたのは、白髪まじりの頭をした女性だった。物腰は柔らかく、シンプルな白い前掛けを着けている。
「私はここであなたの世話を任された者です。もう正午を過ぎましたが、お食事はいかがなされますか」
正午過ぎ。
ということは、少女は半日近く眠っていたことになる。その間一度も目が覚めなかったことも考えると、昨日は本当に疲れていたのだろう。
「…あの。皇子様とジルは」
「お二人なら朝早くに聖地に向かわれました。あなたはゆっくり寝かせておくようにとの言付けです。夕方にはお戻りになられます」
シーツを整えながら、女性は淡々と答えた。

――置いていかれた。

少女は途端に心細くなる。できればなるべく二人の近くに居たかった。シャリエールはともかく、リナリアは苦手だ。あの金の瞳で見つめられると、妙にいたたまれなくなる。

少女は昨日のことを思い出し、表情を曇らせた。

あれから何を話したのだろう。自分はこれからどうなるのか。居てもいいと言われたが、自分抜きで進められる自分の話に付いていけなくて、居心地が悪くて、ジルが用意してくれた逃げ道にすがって出てきてしまった。

「お食事、後で部屋に運ばせていただきますね。御用の際には外の兵士に言付けてくださいませ」

そう言って女性は静々と部屋を出て行った。また部屋に一人で残される。
食事は部屋に運んでくれるというし、ジル達は夕方まで帰ってこない。下手に出歩いてリナリア達と顔を合わせるのも気が重い。

(今後のことは、二人が帰ってきたら聞いてみよう)
それまでは部屋で大人しくしていようと、整えられたばかりのベッドに申し訳なく思いながらも再び腰を下ろした。

しばらくすると、再び扉が叩かれた。
食事が来たのかと少女が腰を浮かせると――

「入るわ」

凛とした声が響き、ぎくりとその方向を見ると、少女が一番会いたくない人物が立っていた。

「寝起きのところ申し訳ないけど、皇子がいない間に話がしたいの。食事をしながらでもかまわないから」

断ることを許さない、金の双眸。少女は無言で頷くしかなかった。





「とりあえず、あなたをすぐにどこかに連れて行くことはないわ。恐らく私たちか、ラシエルハルト皇子の『巡礼』に同行することになるでしょうね」
食事と一緒に運ばれてきたお茶に口を付けながらリナリアは言った。
少女はお腹が空いているはずなのに、食事に手をつける気にはなれない。

「…昨日から気になってたんですけど、『巡礼』ってなんですか」
少女が顔色を伺うように、恐る恐る口にする。カップに視線を落としていたリナリアは、あぁ、と呟いて少女に目を向ける。
「ジルから聞いていないのね。『巡礼』は、法皇になるための皇族の旅のことよ」
「…法皇?」
リナリアは、手に持っていたカップを置いた。
「皇族の持つ『力』は昨日見たのよね。この国は超人的な『力』を持つ法皇が、精霊の声を聞きながら代々治めてきたのよ。そしてその『力』は皇子たちに受け継がれ、最も精霊の声を聞くことが出来るものが、次の法皇になるの」

精霊の声を聞く。

(…そういえば昨日)
草原が光に包まれたとき。


『何。これ、さっきの皇子様がやってるの』
『そうだ。こうして大地に呼びかけて精霊と『交信』してるんだ。』


「精霊と“交信”…」
少女が無意識に口にすると、リナリアは意外そうに片眉を上げた。
「あら、それは聞いてるのね。そう、精霊の声を聞くことを『交信』と呼ぶの。私達の旅の目的はそれよ。国中の5つの聖地を回って、その地の精霊と『交信』するの。すべての王位継承者が声を聞き終わったとき、精霊が次の法皇を選ぶとされているわ」
「…精霊が選ぶの?一体どうやって」
「それは私達みたいな『力』のない者にはわからない。それでも代々そうして法皇は選ばれてきたのは事実よ」

精霊が選んだ法皇が支配する世界。
なんだか遠い世界の出来事のようだが、少女は実際に昨日『力』を使うところを見ている。

「何信じられないみたいな顔してるの。あなたにも出来るはずなのよ、本来ならね」
リナリアが呆れたように言った。
ジルも昨日同じことを言っていた。だが、少女には自分の中にそんな『力』があることが信じられない。
少女は、膝の上に置いていた掌を握り締める。
「記憶が戻ったら、『力』の使い方も思い出すんでしょうか…」
「私に聞かれてもわかるわけないわ。そもそも、私はあなたを完全に信用したわけじゃないの」
はっとして少女が顔を上げると、リナリアが射るように見つめていた。
「あなたが嘘を付いていない証拠は何もないわ。本当だとしても、あなたの記憶が戻った途端何かしないとも限らない。私は『巡礼騎士』なの。自分の守護する皇女を危険な目に合わせるのは許されない」
はっきりとした敵意を向けられて、心臓を握られたようだった。

「…巡礼騎士、って」
少女は、かろうじて口を開いた。
「…あぁ。巡礼騎士っていうのは、神聖な『巡礼』の旅に付き従うことの出来る唯一の騎士のことよ。私もジルもその巡礼騎士なの。そして、自分の従った皇族が法皇に選ばれたら、『聖騎士』となって生涯法皇の側に仕えることになるのよ。
――これは、剣を志した者にとっては最高の名誉なの」
金の瞳が、光で揺れる。
「私もジルも死ぬ気で鍛錬して、ようやくここまで辿り着いたのよ。私にとってシャリエール様は、命に代えても守らなくてはならない方なの。それが出来なければこれまでの私の人生は意味のないものになるわ。他の巡礼騎士も同じよ。もちろん、ジルも。」
リナリアの祈るような己への誓いの言葉に、少女は言葉を挟めない。
「だから、これだけは言っておく」
意志を込めた光を点して、リナリアははっきりと口にする。

「これから私達の旅に同行する中で、万が一あなたが皇子やシャリエール様を害するようなことがあったら。私は、あなたを殺す。神の一族だとか『力』だとか関係ないわ。ただ私は私のやるべきことをやるだけ。――いいわね。」


―――違う。
私はそんなこと。


叫びだしたいのに、声が出ない。


座っているのに足元がぐらついて、視界が真っ暗になっていく。リナリアがまだ何か言っているようだが、耳に膜がかかっているかのように何も聞こえない。
喉がカラカラで何か口にしたいのに、体が自分のものではないみたいだ。

―――この人たちにとって、自分は居てはいけない存在で。




「…わかりました。よろしくお願いします」

気付けば、少女はリナリアに向かって頭を下げていた。

それを見たリナリアがどんな顔をしていたのかわからない。









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