カナタ 一章 約束 2




「まず自己紹介が必要ね。こちらはシャリエール=ティア=アナスタシア様。この国の第一皇女でラシータ殿下の姉にあたるわ。そして私はリナリア=ファルコム。シャリエール様の巡礼騎士よ」
向かいのソファに腰を下ろした三人に向き合い、シャリエールの隣に座ったリナリアは名乗った。
(…巡礼騎士)
初めて聞く単語だ。
それでも今は聞ける雰囲気ではない。
「あなたのお名前は…覚えていないってわけね」
凛とした声で問われ、少女は俯く。
「はい。…すみません」
「あやまらなくていいのです。責めているわけではありませんから」
隣のシャリエールがお茶を勧めながらふんわりと口を挟んだ。
「…もう一度確認するわ」
それをさらに遮るように、リナリアが言う。
「あなたは目覚めたら今までの記憶がまったくなくて、なぜ自分がそこにいるのかわからなかった、というわけね」
「…はい」
リナリアは体が萎みそうなほど大きなため息をつき、額を手で覆った。
「…前代未聞の出来事ね。迂闊に処理できないじゃない」
「だろう?俺一人じゃとても手に負えなかったから連れ帰ってきたが。どう思う」
「そうね…」
リナリアは視線を伏せ、思案の表情になる。
少女は震えそうになる心臓を必死に抑えて、リナリアの様子を伺った。
「…とりあえず、下手に王都やカルラの里に送り返したりしないほうが良さそうね。意図が読めないわ」
「意図って。あの、私、本当にあなたたちに何もする気は」
「“今のあなた”はそうかもしれないわね。それでも“前のあなた”や、あなたの記憶を消したり飛ばしたりした人物にはその意図があるのかもしれない。王都に連れて行った途端突然記憶が戻って暴走されたりしたらたまらないわ。あなたにどんな『力』が掛けられているのかわからないもの」
ぴしゃりと言い返され、少女は口を噤む。ジルが続いた。
「カルラに送り返すのも慎重にすべきだな。わざわざ聖地に落ちてたんだ、皇族に見つけられる気満々だろ。カルラで何か異常があったのだとしたらこのまま保護すべきだし…」
むう、と黙り込んでしまった二人を交互に見つめ、ラシータはぽつりと口を開いた。
「…じゃあこの子はどうしたらいいんだ。このままじゃかわいそうだ」
表情を曇らせるラシータを見て、シャリエールは愛おしむように微笑む。
「それをこれから皆で話し合うのですよ。この子にひどいことはしません、心配しなくても大丈夫です」
最後の言葉が自分に言われたような気がして少女が思わず顔を上げると、優雅な微笑みと目が合った。その瞳に労わりの色が浮かんでいる。
「…まぁ、とりあえず」
ジルが顔を上げる。
「今日は必要以上に『力』を使わせることになった。早めにこいつを安ませたいんだが…」
そう言って視線を向けられ、ラシータはかっとする。
「な…大丈夫だ!この子のこと話し合うんだろ、俺だけのけものになんか」
「ラシエルハルト」
やんわりと、でもよく通る声でシャリエールはラシータの言葉を遮る。
「あなたの今のやるべきことはなんですか。明日もきちんと精霊と『交信』することでしょう。今のあなたは誰が見ても疲れた顔をしています。自分の立場を忘れないでください」
ラシータはさっと顔を赤くして俯く。
その様子を見て、シャリエールはまさに妖精のように美しく微笑んだ。
「あなたが彼女を心配していることは皆わかっています。私たちはあなたが悲しむようなことは決してしません。安心して休んでください」
聞きながらラシータは小さな掌を白くなるまで握り締め、一呼吸置いてからやっと顔を上げた。
「…姉上がそう言うなら。食事の準備が出来たら、呼んでください」
少女に気遣うような視線を投げてからラシータは立ち上がった。同時に、ジルも立ち上がる。
「…おい、お前も休め。部屋は用意されてるはずだ。案内させる」
「え」
それが自分に言われていることに気付き、少女は反射的に横に立つジルを見上げた。
「でもこれから私の話をするんじゃ」
「あなたから聞くべき話はもう全部聞いたわ。あなたの今後に関しては、全部あなたの希望通りってわけにはいかないのよ。というわけで、あなたが同席する意味はないってわけ。それでもどうしても居たいって言うならかまわないけど」
返事は正面から返ってきた。リナリアだ。
それをフォローするようにジルが続けた。
「ていうかお前、自分の顔も後で見てみろ。明らかに疲れてるぞ。――当然だろうけどな」

口を挟む権利はない。

言外にはっきりとそう言われたことに気付き、少女は返す言葉を失う。
―――従うしかないのだ。

「…うん、わかったわ。私も休ませてもらう」
「悪いな」
ジルは本当に申し訳なさそうに目元を下げて言った。首を振ることでそれに答える。
「ジルはこのまま座ってて。皇子様と一緒に行くわ。…何かあったら呼びにきて」
言いながら立ち上がり、ラシータのほうを見た。ラシータが小さく頷くのを確認して、一緒に扉に向かう。
出来るだけ振り返らないように。

廊下に出ると、先程の兵士が立っていた。
「どちらへ」
「疲れたから先に休む。この子を部屋に送りたい、用意させた部屋は」
ラシータが少女を庇うように進み出て、ゆるぎない声で言う。
「突き当たりを右に曲がった場所に。誰か案内をお呼びしますか」
「いい。私が行く」
頭を下げる兵士の横を通り過ぎ、並んで廊下を歩いた。
二人分の靴音が、妙に響いて聞こえる。

少女が無言でいると、ふいに手が繋がれた。ラシータだ。
驚いて隣を見ると、まっすぐに前方を睨んでいる横顔が目に入った。
その唇は硬く結ばれている。

力になりたいのに、何もできないこと。
子供であること。
ジル達と対等に話せないこと。
そういったいろんなことが、この少年にはとてつもなく苦しいのだ。

つないだ掌から、少年の体温が伝わる。
等身大の優しさの温度だ。

彼に掛けるべき言葉を、今の自分は持ち合わせていない。
だからせめて。

少女は繋がれた手を強く握り返した。
優しさをくれた少年に、少しでも温もりが伝わることを願って。

手をつないで歩いていく二人は、まるで迷子の子供達のようだった。



部屋に案内されラシータが立ち去ると、少女はまっすぐに窓際にあったベッドに倒れこみ、目を閉じた。
とにかく今は、何も考えず、バカみたいに眠ってしまいたかった。









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