カナタ 一章 約束 1




その後も三人は歩き続け、門が見えてきたのは草原が夕日に染まる頃だった。

巨大な石を削ってできている門は、遠目で見ても大きく、ジルの背丈の倍を越えている。そしてその門を中心に壁が広がっており、ジル達の話によると城壁の役割を果たしているらしい。視界に収まりきらないそれは、街がかなりの規模であることを示している。
門の前に守人らしき人影が立っているのを確認すると、少女は目に見えて安心した様子を見せた。大丈夫だと言われてもやはり心配だったのだ。

二人で出て行ったのに帰ってきたら三人になっていた、という問題は、ラシータが『力』を使って一時的に少女の姿を隠すことで解決した。
ラシータが少女の腕を取りながら瞳を閉じて何かを念じる様子を見せると、ふわりと少女の体は景色に溶けていった。
あるはずの自分の体が存在しない。少女は不思議そうに手を握ったり開いたりしていたが、他の2人にはそれも見えていないようだ。

「行くぞ。俺らにはお前が見えないからな、しっかりついてこい。声は消えないらしいからしゃべるなよ」
「…わかった」
どきまぎしながら、少女は門へと向かう2人の後ろにぴったりと付いて歩いた。

恭しく頭を下げ、門を開ける守人たちに軽く声をかけながら、二人は(正式には三人は)門を抜けた。

門を出たすぐの辺りは人気がなく、守人の視界から外れたのを見計らいラシータは少女の腕を探り当て、また何かを念じた。
途端に、それまで存在しなかった自分の体が浮かび上がる。
「…便利なのねぇ」
“見える”ようになった自分の手のひらを見つめて、少女は感心したように呟く。
「万能ってわけじゃないみたいだけどな。体力だか気力だかわからんがけっこう消耗するみたいだぞ。こいつはまだ子供だから一日に使える分は限られてる」
こっそりとジルに言われ、少女は前を歩くラシータを見ると、明らかに足取りが重くなっていた。『力』の使用だけでなく、一日歩き通しだったことも拍車を掛けているようだ。
またあとで改めて御礼を言わなきゃ、と少女は心に決める。

最初はぽつりぽつりと建物が見えるだけだったが、歩みを進めるごとに空気が活気付いていくのがわかった。
街の中心街が見えてくると、少女の口から感嘆が漏れた。

「うわぁ…」

建物は赤いレンガで造られたものが多く、どの家にも出窓に赤が引き立つようにかわいらしい花が飾られている。所々に看板が掛けられており、そこが店なのだとわかる。足元を見ると薄い灰色の石畳。段差は足を引っ掛けない程度に埋められていて、子供が楽しそうに走り回っている。これから食事の時間なのかどの家からも香ばしい匂いがし、行き交う人々も軽い足取りで買い物をしたり家路に向かったりしているようだ。

平和で豊かな街だ。少し歩いただけですぐにわかった。

「なんだか活気のある街なのね」
「ここは工芸で有名な街だからな。地元の連中だけじゃなく、国中から職人が集まる。年中こんな感じだ」
「へぇー…」
少女は好奇心を隠そうともせず、辺りを珍しそうに見回している。その様子を見たジルは苦笑する。
「珍しいのはわかるけどあんまりキョロキョロするなよ、時間があったら案内してやるから。目立つのはまずいんだ」
「え、まずいの?なんで」
「こいつの身分考えろ。バレたらそのへんの連中みんな膝ついて頭下げるぞ。こいつはそうやって皇子扱いされるのを嫌がるんだ」
言いながらラシータの頭に手を置くが、すぐに振り払われる。言葉が返ってこないのはやはり疲れているからだ。
「…まぁ、“目立ちたがる”奴もいるけどな…」
誰に言うでもなく付け加えるが、少女の耳には届かなかったようだ。

中心街を通り過ぎると、また人気が少なくなった。住宅街のようで、たまに仕事帰りのような人影を見かける。
さらに住宅街を進むと、入り口に石柱が立つ白い建物が見えてきた。近付いてみるとそれは表面がつるりとした石で出来ており、削られて繊細な模様が描かれている。
入り口には聖地の門に立っていた者と同じような装いの兵士が二人立っていて、ラシータ達の姿を認めるとその場で慇懃に頭を下げた。
「無事にお戻りになり、なによりでございます」
「お前たちもご苦労だった」
燐とした声で返事をするラシータに、少女ははっとする。
そこに先程までの疲れの色はない。
「姉上はご到着か」
「昼過ぎに。現在リナリア殿と談話室でお休みになられております」
そうか、と呟き、扉の中に足を進める。ジルと少女もそれに続く。
見覚えなのない姿を見て、兵士はあからさまに眉を顰めた。
「…失礼ですがその娘は」
「今日から私の付き人とする。すぐに部屋を用意させよ。無礼は許さん」
兵士はそれ以上追及せず、かしこまりまして、と言ってまた頭を下げた。
少女は一連のやりとりをぽかんとしながら見つめていた。


「…別人みたいだったわね」
よく磨かれている廊下を歩きながら、少女は呟いた。
少年は歳相応の顔をして口を尖らせる。
「あれが普通なんだ。ジルと一緒にいるせいで口が悪いのがうつった」
「俺のせいかよ。じゃあなんだ、俺に“かしこまりまして”とか言いながら頭下げて欲しいかお前」
「やめろよ気持ち悪いっ!!」
ラシータが本当に嫌そうに言うので、少女は思わず笑った。
本当に不思議な二人だ。

廊下を進むと、扉に兵士が立っている部屋が見えてきた。どうやらそこが目的の部屋らしい。
ラシータが一歩進み出た。
「姉上にご面会を願いたい。取り次いでもらえるか」
「只今」
恭しく頭を下げ、兵士は扉をノックし、中に声を掛けた。少しして中から違う兵士が出てきて、要件を伝える。その兵士が中に戻り、またしばらく待つと、同じ兵士が戻ってきて何やら告げる。
「どうぞお入りください」
そしてやっと、三人は部屋の中に入った。
中には2人の人影が見える。


(…妖精みたい)

部屋の中心にあるソファに座っている人間を見て、少女はそんな感想を持った。

ふわりとした金の巻き毛に、白く細い四肢。目の色はラシータと同じく青で、長い睫が影を落としている。肩の開いたドレスを纏い、彫刻のような指で優雅にティーカップを持つ姿は本当に妖精の様に美しい。

「おかえりなさい、ラシータ。今日はどうでした?」

にっこりと笑いながら話しかける姿を見て、少女は思わずどきどきする。
「ただいま戻りました、姉上。…『交信』は出来たんだけど、まだ少し頑ななんだ。もう一日行ってみるつもりだけど、いいですか」
「もちろんかまいませんよ。それでは私たちは明日は一日ゆっくりしましょう。今日はたくさん歩いて疲れたもの。ねぇ、リナリア」
姉上、と呼ばれた女性はその美しい瞳をソファの横に立つ女性に向けた。
釣られて視線を向けた少女は、リナリアと呼ばれた女性と目を合わせてしまい、その眼差しにどきりとする。

鋭く光る金の視線に、意志の強そうな眉。背が高く、少女と並んだら見上げる形になってしまうかもしれない。長い髪を高めの位置で結び、肩口に流している。ジルと同じような服を着ているが、彼のように着崩してはいない。肩紐を使い剣を背負っているが、ジルのものより少し細身に見えた。細身で美しく引き締まった四肢は、戦うもののそれ。
隣の女性とは対極のイメージを持つ女性だった。

リナリアは、少女の顔を見つめるうちにみるみる目を見開き、ジルに目線を移すと悠然と微笑んだ。
「…ジル。久しぶりに会ってなんだけど、説明してもらわないといけないことがありそうね?」
にっこりと、それでも全然笑っていない眼差しを受け、ジルは苦笑いしながら頷く。
「こっちも大分困惑してるんだ。二人の意見が聞きたい。とりあえず人払いするぞ」








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