カナタ 二章 旅立ち 2




「くれぐれも気をつけてくださいね」
「はい。姉上も」

日が昇り、街が動き出す頃。宿舎となった建物の外で、シャリエールとラシータは別れの挨拶を交わしている。
シャリエールは聖地に向かい、ラシータは新たな聖地へと旅立つ。どうせならと一緒に出ることにしたのだった。
もちろんシャリエールの後ろにはリナリアが控えているし、ラシータの後ろにはジルと、リナリアの視線から目を逸らしたフィリカが控える。元気になったとはいえ、リナリアが苦手なことには変わりはなかった。

そんなフィリカの様子を気にするでもなく、リナリアはジルに声を掛ける。
「あまり皇子に失礼がないようにね。あなたはあくまでただの騎士なのよ」
「…はいはい、気をつけますよ」
ジルのラシータに対する気安い様子を見かねたのだろう。だがラシータ自身がそれを気にしている様子ではないので、その声には棘がない。それでも言わずにはいられないのがリナリアらしい。
それでもジルは気まずそうに返事を返した。昨日ラシータの機嫌を損ねてしまったためバツが悪かったのだ。

シャリエールが次にジルに顔を向けた。
「ジル殿。ラシータをよろしくお願いしますね。そしてフィリカのことも。最後の巡礼地にたどり着くまでに記憶が戻ればよいのですが…」
案じるような視線を向けられ、フィリカは隣のジルを見上げる。その視線の意味を察したジルは口を開いた。
「5つの巡礼地のうち、最初の4箇所は回る順番は自由なんだ。だが最後に向かう地は決められている。カルラの里だ」
フィリカの目が見開かれる。

「あなたのことは他の皇子達にも連絡させてもらうわ。どうせ旅先で会うでしょうしね。皆が皆あなたに友好的な態度をとるわけじゃないから覚悟しておきなさい。何かあったら遠慮なくジルに押し付ければいいのよ」
「おい」
割って入ってきたリナリアの言い分にジルが小さく抵抗したが、当然のように黙殺される。
その中に自分に対する気遣いが含まれていたことに気付き、フィリカは面食らったように驚いてリナリアを見た。
リナリアは不敵に笑って返す。
「まぁ会えばわかると思うけど、巡礼中の皇族にも巡礼騎士にもいろ〜んな方がいるってことよ。私なんてかわいいものよねぇジル?」
「いろんなヤツがいることは認めるがお前はかわいくねぇ!」
「あら失礼な言い分。あなたがフィリカと旅してるって知ったら私以上に騒ぎそうな人たちが何人かいる気がするけど?」
「ソレを言うな。あんまり考えないようにしてるんだ」
ジルは大袈裟にため息をつき、額を手で覆った。その反応を見たフィリカは首を傾げる。

「さてシャリエール様。私たちはそろそろ参りましょう。ゆっくりしていると帰りが遅くなりますわ」
「そうですねリナリア。行きましょう」
二人が顔を見合わせて言うと、ラシータが名残惜しそうに姉を見上げた。
「…姉上」
自分を案じる幼い視線を受け、シャリエールは膝を曲げてラシータをそっと抱きしめた。
姉の柔らかさに包まれて、ラシータはまた少し泣きそうになる。

「大好きなラシータ、昨日の私の言葉を忘れないでくださいね。お互い、良い法皇になれるよう尽くしましょう」

「…はい」

涙声で答えたラシータをそっと離して、シャリエールは立ち上がった。

「それでは。またどこかでお会いできることを願っています」

「…あの!」

背中を向けようとした二人にフィリカが慌てたように声をかける。
声を掛けられた二人は足を止めた。二つの双眸を前に一瞬怯んだが、気を取り直したようにフィリカは視線を上げた。

「いろいろと案じてくださってありがとうございました。あの…お気をつけて」
言葉を選ぶように話すフィリカを見て、女性二人は揃って微笑んだ。

「“ありがとう”だなんてなかなか根性あるじゃない、フィリカ。また会えたらいいわね。もういじめないから安心してちょうだい」
「あなたが早くご家族や友人に会えることを願っていますよ。ラシータをよろしくお願いしますね」

それでは、と最後に言って、今度こそ二人は聖地への入り口へと向かって行った。
その背中を残された三人で見送る。二人は振り返らずに視界の外へと消えていった。

「…さて。ラシータ、フィリカ、俺らも行くか」

名残惜しそうに姉の消えた道を見つめていたラシータも、ジルの言葉に目線を上げる。その瞳には決意が宿っていた。

「行こう。俺は、ちゃんと自分のやるべきことをやるんだ」

返事を聞いたジルは笑みを浮かべ、ゆっくりと歩き出した。
後にラシータとフィリカが続く。

「…フィリカ」

歩き出した途端、ラシータが声をかけた。

「ん?なぁに、皇子様」
「それ」
「?」

首を傾げる少女から目を逸らし、恥ずかしそうにラシータは続けた。

「…その、皇子様、っていうのやめろよ。ラシータでいい。俺もフィリカって呼ぶ」
「え。いいの、皇子様なのに呼び捨てで」
「いいんだ、ジルなんて最初からそうだったし。一緒に旅するのに様付けなんて堅苦しいだろとか言って。なんて失礼なヤツだと思ったけど」
「うわぁ、最初からふてぶてしかったのねジルってば」
「…お前ら…」

うらめしそうなジルの声を聞いて、ラシータとフィリカは視線を交わしてこっそりと笑った。

「わかった。改めてよろしくねラシータ。あと」
そこでフィリカが一度言葉を区切る。なんだろうとラシータが注意を向けると、ふいに左手が温かいものに包まれた。思わずぎょっとして見ると、フィリカが両手でラシータの手を握っている。

「いっぱい優しくしてくれてありがとう。すごく嬉しかった。ラシータが居てくれてよかった」

柔らかな手に握られた上に嬉しそうに微笑まれ、ラシータの顔は一瞬にして真っ赤になった。慌てたように手を振り払い、視線を逸らすように前を向く。

「…べ、別にお礼を言われるようなことじゃないし!!おいジル急ぐぞ!!!」

大声で宣言し、大股でジルを追い越して歩いていった。フィリカはぽかんとそれを見送る。
追い越されたジルは、微妙に体を折り曲げて背中を小刻みに震わせている。
何事かとフィリカがジルの横に並ぶと、必死で笑いをこらえている最中だった。

「お前あんまり子供をからかうなよ。あいつそういう免疫ないみたいだからな」
言いながらも目は完全に笑っている。だがフィリカにはラシータが突然不機嫌になった理由も、ジルがなぜこんなに笑っているのかもわからない。
「いや全然からかったつもりとかないんだけど…?よくわかんないけど気をつけるわ」
釈然としない様子でフィリカは頷いた。

一方前を歩くラシータは、フィリカに握られた左手と自分の顔がなんだか熱くて混乱していた。

(別になんでもない!姉上にはいつも抱きしめてもらったりしてるし!)

胸のうちで必死に弁解しながら、火照った顔が冷めるのを祈った。

(…居てくれて良かった、だって)

フィリカの言葉を思い返し、ますます顔が熱くなるのがわかった。
だけど。

ラシータの口元が自然と緩む。

自分の想いは彼女に伝わっていた。昨日姉が言ってくれたように。

ラシータは誇らしいような気持ちになって、頬の熱が冷えるまで先頭を歩き続けた。








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