カナタ 二章 旅立ち 1




「ラシータ、そんな顔で食べていたら作ってくださった方に失礼ですよ」
しかめ面で食器を手にしているラシータを見、シャリエールは眉をひそめる。
言われたラシータははっとして顔を上げる。小さく「すみません」と誤り、料理を切る手を動かした。
仕方ない、という風情でシャリエールは息を吐き、食器を皿に置く。
「私と二人の食事は楽しくありませんか?」
「そんなわけありません!」
「では、そうしてそんなに沈んだ表情をしているのですか?何かあったのですか」

食事の並ぶテーブルを囲んでいるのは、ラシータとシャリエールの二人。そしてテーブルからやや下がった辺りに給士係の品の良い男性が立っている。
昨晩はフィリカを除いた全員で食事を取ったが、今日はシャリエールが「今夜は姉弟だけで」と提案したのだ。
大好きな姉との食事だ、ラシータには拒む理由はない。城で暮らしていた頃はお茶を飲むくらいならともかく、一緒に夕食を取ることなどめったになかった。嬉しいに決まっている。

ただラシータにはどうしても引っかかることがあった。

心配そうにこちらを伺う姉の顔を上目で見ながら、ラシータはぽつりぽつりと口を開いた。



聖地から戻り一眠りした後、少女の部屋を訪ねた。
昨日心細そうにしていたことがずっと気になっていたので、おいしい食事を一緒に食べて少しでも元気になってくれたら、と思った。

しかし部屋を訪ねてみるとジルが居て、少女が手をつけていなかった食事を二人で突付いているところだった。
「皇子様、おかえりなさい」
穏やかに微笑む少女を見て、ラシータは面食らう。
「あぁラシータ、起きたのか」
ジルがパンを頬張りながら声を掛けた。それを見た少女が表情をゆがめる。

「ちょっと、せめて飲みこんでから話しなさいよ、汚い」
「ん、そうか?だってこれフィリカがほっといたせいで大分硬くなってるし飲み込むの大変なんだよ。しかしうまいなこのパン」
「そーなのよねー。持ってきてくれたとき焼きたてだったのよ。あー食べとけばよかった」
「確かにこの焼きたてはうまいだろうなぁ。まぁ俺はあとで食べるけどな」
「え、なんでよずるい」
「だってこれはフィリカの夕食だろ。俺はこれから作りたての夕食を食うんだ」
「ちょ、何ソレずるいわよ、ていうか食べすぎ」

入り口で立ちっぱなしのラシータは、気安い様子で会話をする二人を唖然と見つめていた。
昨日も二人でぎゃあぎゃあ言い合ってはいたけど、なんだか空気が変わっている。
それに。

「…フィリカ、って。」
呆然としたまま、ラシータはどちらともなく尋ねた。
ジルは、そういえば、と前置いて、どことなくバツが悪そうに話す。
「名前がないと不便だろ。で、俺が付けた。お前も見ただろ、聖地に咲いてた花の名前だ。」
「…知ってるけど」
ラシータの顔がこわばる。

「あのね」
フィリカと名付けられた少女が、机を立ってラシータの側に来た。
「私、明日から皇子様たちと一緒に行くことになったみたい。あの、できるだけ迷惑掛けないように大人しくついてくから。…よろしくね、皇子様」
ラシータに目線を合わせてフィリカは微笑んだ。
そこに、昨晩までの不安気な様子はない。

ラシータは急に惨めな気分になった。

この子のことを一番気に掛けていたのは自分だったはずだ。
なのに、自分抜きでどんどん話が進んでいて、名前まで付けられて、少女は嬉しそうに笑っている。

元気になってくれているのは嬉しい。
だけど。

「…お腹、すいたから。俺も食事にする」
それだけ呟き、ラシータは部屋を出た。
残されたフィリカが複雑な表情でラシータの出て行った扉を見つめる。

「あー…」
ジルが背もたれに身体を預けながら呟く。




「そう。あの子、フィリカという名前になったのですね。」
聞き終わったシャリエールはゆったりと微笑んだ。
向かいのラシータは情けない表情で俯いている。
「…あの子が元気なのはすごく嬉しいんです。だけどそれを素直に喜べないんです。なんだかすごく嫌な人間になってしまった気分なんだ」
穏やかなこの姉と一緒にいると、ラシータはつい子供みたいになってしまう。ただそれが居心地がよくて、昔から何かあるといつもシャリエールに話を聞いてもらっていた。
そしてそんなラシータを、シャリエールはとても愛しく思っている。

「あなたは、あなたの力でフィリカを元気にしてあげたかったのですね」
俯くラシータを、シャリエールはいとおしげに見つめた。
「…ジルは、あの子にきつい言葉でもなんでも言っちゃうんだ。だから、僕はあの子に精一杯優しくしてあげようって思ったんだ。だって絶対心細いと思うんです。記憶がないなんて」

もし自分だったら、と想像する。
目が覚めて、全然知らない場所に居て、自分の名前や大切な人たちのことを全部忘れていたとしたら。
そんなの嫌だ。そんなの怖すぎる。

だから、なんとか力になってあげたかった。
彼女の心細さを少しでも減らしてあげたかったし、笑って欲しいと思った。
だけど自分はどうしたって子供で。自分がなんとかしてあげたくて、でもできなくて落ち込んでいたのに、いつだって“大人”はそれをあっさりと飛び越えていく。
自分の無力さが、子供であることが悔しかった。

「あなたは自分を情けなく思う必要はありません、ラシータ」
姉の言葉に、ラシータは俯いていた顔を上げる。穏やかだが意志のある瞳が自分を見つめていた。

「あなたはあなたが出来ることをしていました。それは絶対に、フィリカの支えになっていたはずです」

姉の言葉に、半信半疑ながらもなんだか泣きそうになる。
姉はいつも自分に優しい。そして、絶対に嘘はつかない。

「…ごめんなさい、姉上」

子供じみた自分が恥ずかしくなり、ラシータは再び顔を伏せた。
「どうしてあやまるのですか?」
「だって、いつも僕は姉上に弱音ばかりで。姉上は聞いていて嫌にならないのですか」
シャリエールはやんわりと微笑む。
「私はあなたが大好きなのですよラシータ。あなたに甘えてもらえることが私にはとても嬉しいのです。だからあやまらないでください」
温かな言葉に、ラシータの涙腺はさらにゆるむ。
「そんなに肩肘張らなくてもいいのですよ。あなたはあなたのまま、前を向いていればいいのです。ありのままのあなたが何よりも愛しいのですから」
本当に涙が出てきそうだ。ラシータは目蓋をきつく閉じて潤んだ瞳を押さえ込む。

だが、シャリエールの次の言葉で目蓋が一気に乾いた。

「きっとジル殿もそうなのでしょう」

ジル。

その言葉を聞いた途端、ラシータは歳相応のふてくされた顔になる。

「…ジルは、僕のことガキだとしか思ってない。そう思ってくださるのは姉上だけです」

口を尖らせて呟く弟を見て、シャリエールは軽く目を見張る。

―――あらあら。

シャリエールにはそれまでのジルとラシータの旅がなんとなく想像がついた。想像して、ラシータにはわからないようにこっそり笑う。

子供であることが悔しいというのは間違いではないのだけれど、
要するに、自分が大人に―――ジルに届かないことが悔しいのだ。

(この子にとって、ジル殿は大きな存在になりつつあるのですね)

弟の心境を思い、シャリエールは若干の寂しさと喜びを想った。

「…確かに、ジル殿の心境は私には量りかねますが。ただ、私があなたを愛しく思っているのは本当ですから。それだけは忘れないでくださいね」
「…はい、姉上。ありがとうございます。僕は僕のできることをしたいと思います」
そこでラシータはやっと笑顔を見せた。その素直さがシャリエールには愛しい。

ふと、王宮でのラシータの姿を思い出す。
いつも立派な皇子になろうと肩肘を張り続けていた弟。
歳相応の顔など親しい身内の前以外では絶対に見せようとしなかった、頑なな姿。

(ジル殿やフィリカとの旅が、この子にとってどんな意味を持つようになるのでしょうか)


愛する弟の幸先を願いながら、シャリエールは穏やかに微笑んで食器を持つ手を動かした。








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