カナタ 一章 出会い 5




「今日はどうだ」
ジルの問いに、ラシータは視線を伏せて答える。
「…まだだめ、かも。わかんないけど。もう一日くらい話したい」
「そうか、じゃもう一泊だな。日が暮れる前に戻ろう。お前も行くぞ」
話すって誰と、と口に出す前に、ジルは少女を視線で促し歩き出した。
続くラシータはちらりと少女を見、少女はどきりとしたが、すぐにそらしジルに合わせて歩き出した。
大股で通り過ぎるその耳は、焼けるように赤い。

(…もしかして、照れてる、とか)

『一人ぼっちなのにかわいそうだろ!』

恥ずかしそうに、でも堂々と叫んだ少年の姿を思い返す。

(…あとでお礼、言わなきゃ)

少女は胸が温かくなるのを感じながらラシータのあとに続いた。

「どこに向かうの?」
少女にも着いていける速度で歩いていく背中に声を掛ける。
なんとなく目線をジルのそれに合わせていたが、答えたのはラシータだった。
「…ラキの街。この『聖地』の管理を司ってる街なんだ」
「管理?街が管理してるの、この場所。」
「そうだ、皇族以外誰も入らないように厳重にな。お前は多分ここに『力』で飛んできたんだろう。…入り口で聖地の守人が『力』で倒れたりしてなければな」
次に答えたのはジルだ。少女が思わずどきりとすることを付け加えて。
「…ジル」
ラシータに視線で攻められ、ジルは軽く首をすくめた。
「まぁ、そういうこともありえるってことだ。そんな顔すんな、言い方が悪かった」
「…別に、なんとも思ってないし」
目を逸らした少女を見て、ジルは自嘲するような笑みを浮かべる。
「ただ、俺たち以外の人間に会う前に覚悟しておけ、ってことだ。前のお前のやったことは今のお前のやったことになる。覚えがなくても過去の責任は今のお前にかかる。俺の思う記憶喪失ってやつの弊害なんだが、どうだ」

少女は俯いて見えないように唇を噛み締めた。
ラシータがちらりと視線を向けるのを感じる。

…確かにそうだ。

さっきのジルの言葉にどきりとしたが、反論できなかった。

前の自分が、どんな人間だったのかわからない。
そんなことしてない、なんて自信を持って言えない。

(…自分のことなのに)

じわりと押し寄せる不安を振り払うように、少女は顔を上げる。笑ったつもりだったが、うまくできていたかはわからない。

「…そーかもね、忠告ありがと。でも少なくとも『今の私』は暴れたりしないことは保証するわ。安心して連れ歩いてちょーだい」
「そうだとありがたいな。…でもまぁ、お前を知ってる人間に会うことはめったにないと思うけどな」
「え」
続けたのはラシータだった。相変わらずの仏頂面だ。
「…カルラ族は、カルラの里から出ないんだ。人目に触れずにひっそり暮らしてる、って聞いてる」
ジルがいたずらっぽい目をしながら付け加える。
「それにお前、なーんにも知らないからなぁほんとに。記憶喪失でも食べ物の名前とか世の中の成り立ちとか、そういう一般常識的知識は残るもんじゃないのか。皇族の『力』や『聖地』の話は田舎の村人でも当然知ってる常識だ。それがわからないって言うなら、よっぽど閉塞された場所で暮らしてきた証拠だろ。お前はずっとカルラの里にいたんだろうな」
少女はびっくりして前を歩くジルを見る。そんなこと考えてもなかった。
「そ…うなのかしら」
「記憶喪失のしくみなんてわかんないけどな。あくまで俺の推測だ。まぁそのへんの一般常識は街についたらゆっくり説明してやる。いろいろ心配はあるけどなんとかなるだろ」
飄々とした物言いに、少女は脱力した。
「…またそんな投げやりな言い方を。ていうかそもそも街に出ちゃって大丈夫なの私。伝説のカルラ族ってバレたら悪用されちゃうんでしょ」
口を尖らせた少女の問いに、ジルとラシータはそういえば、という趣で視線を合わせる。
「…ジル」
「んーーー大丈夫じゃないか?まさか伝説の一族が実在してるなんて今更誰も思わないだろ。普通の人なら『変わった目の色ねぇ〜』くらいで済むんじゃないか」
「…ほんとに大丈夫なの、ソレ」
半信半疑の目でジルを見ると、不敵に笑って返された。
「大丈夫だ。それくらい皇族はカルラの情報に関しては長年徹底的に慎重に扱ってきたし、実際俺もこいつと関わる前は物語の話だと思い込んでた。そもそもお前に『神の一族』の威厳があるとは思えないしな。まぁいざとなったらラシータ様が無敵の『力』でなんとかしてくれるさ」
「気持ち悪い言い方するな!」
にやりと笑いながら向けられた視線を、ラシータは上目遣いで思い切り睨んだ。
次に少女のほうを力強く振り向いて続ける。
「ジルの言うことなんか、ぜんっぜん気にすることないからな!こいつは性悪だから意地の悪いことしか言わないんだ!なんかあったら俺が守ってやるから安心しろ!」
少女はきょとんとして、照れ隠しのように大股で歩いていくラシータの背中を見詰める。

…あぁ、この子、本当に『キレイ』な子だ。
私のことを微塵にも疑ったりしていないし、ただひたすら同情してくれている。

再び自分に向けられた率直な優しさに、少女も頬を染める。

「性悪って。お前も口が悪くなってきたもんだなぁ」
しみじみ言う声音に釣られて顔を上げると、ジルがラシータの横顔を見つめていた。
眩しいものをみるかのように目を細めて。さっきまでの意地の悪い笑いとは打って変わった、暖かい表情で。

(…こんな顔もするのね、この人)

ひねくれ者だと思っていたのに。

少女の胸に不思議な感動が湧き上がる。そして、自然に笑みが浮かぶ口元を自分でも意識しながら、少女はラシータの背中に声をかける。
「…ありがとう、皇子様」
別に!というそっけない、でも照れ隠しだと伝わってしまうような返事が返ってきた。

(この人たちと一緒だったら、大丈夫かもしれない。)

少女の胸に、根拠のない、でも確かな安心感が広がっていった。








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