カナタ 一章 出会い 4




「疑う…って」
突然の不穏な単語に、少女は言葉を失う。
「お前が本当に記憶喪失なのかどうか。あいつに危害を加えるどうか…まぁいろいろとな」
一つ一つ確かめるように、ゆっくりと低い声音で続ける。刺さるような視線はそのままだ。少女の華奢な身体は金縛りにかかったように、身動きがとれなくなる。緋色の光が不安定に揺らいだ。

こわい。

じわりと、まぎれもない恐怖を感じた瞬間。

「で、どうなんだ」
「は?」
こわばっていた身体に、ぽん、と音が鳴りそうな声音がかかる。

「だから、お前はほんとに記憶喪失なのか。で、あいつに危害を加える気はあるのか」
思い切り警戒していたところにずばり尋ねられ、少女は力を込めていた肩を思い切り脱力させた。
「…いやどうなんだって言われても。てかそれあなたが考えることじゃないの」
「それが困ったことに今まで記憶喪失の人間と会ったことないんだ。だから記憶喪失の特長とか証拠とかいくら考えてもさっぱりなんだよなぁ…」
ううむ、と唸りながら、考え込むように顎に手を置いた。
どうやら本気で困っているようだとわかり、少女は呆気に取られたようにジルを見る。
「…じゃあナニ、私が正真正銘の記憶喪失ですって言えばそれで疑いは晴れるの」
「そう簡単にいかないところが難しいところだ」
「いやそれじゃ私困るんですけど。あなたたちが怪しんでどっか行っちゃったら私記憶喪失のまま一人ぼっちなんですけど」
「あーそれも困るんだ、カルラの女を一人で野放しにはできない。てことはとりあえず俺たちと一緒に来てもらって、考えるのはそれからってことだな」
納得のいかない顔をしながらも、自分に言い聞かせるかのように結論付けた。
「少なくとも今俺が無事だってことは。一応確認しておくが、俺たちに危害を加える気はない、と解釈する。いいな」
再び琥珀の視線を向けられ、少女は一瞬怯んだ様子を見せ、すぐにため息をついた。
「いいもなにも、見てのとおり私丸腰よ。もし何かするにしても、あなたみたいないかにも鍛えてますーって人に対してどうにかできると思う?」
「だから、お前はカルラなんだよ。もしお前たちカルラが『力』を使ってきたら、俺みたいな普通の人間はやられるだけだ」
「…『力』…?」

呟いた瞬間、突然強い風が吹いた。
緑の波が、ざわめいて揺れる。

風の吹いてきた方角に異常を認め、少女は風に流れる髪を押さえながら立ち上がる。
視界に認める草原の奥から徐々に、光が広がっていく。
ラシータが向かった方向だ。

「…これが、『力』だ」

隣に立ち、風が弱まったのを見計らったかのようにジルは言った。

「何。これ、さっきの皇子様がやってるの」
「そうだ。こうして大地に呼びかけて精霊と『交信』してるんだ。お前にもできるはずなんだが…」
目線で問いかけられ、少女は力なく首を横に振った。


『力』。精霊。交信。
言葉を飲み込みながら、少女は無意識に自らの体をぎゅうと抱きしめる。

(『力』。私にも存在するはずの)

内心の動揺を抑えるように、固く唇を結ぶ。

(…なんなの、私)

混乱する頭を整理しながら、今までの話を踏まえて思い当たることを口にする。

「…あの子もカルラなの」
「違う。『力』を使うことができるのはカルラ族だけじゃない。皇族もそうなんだ。それが何を意味するかわかるか」
試すように言われ、少女は眉をひそめとまどいながらも答える。
「…皇族に唯一対抗できるのが、カルラってこと?」
「そうだ。だからこそ皇族はカルラを異常なほど神聖化している。国民には神の一族として伝説の中の存在だと思い込ませている」
「伝説の中って。存在しないことにされてるってこと?」
まぁな、と光の方角を見詰めながら呟く。
「考えてみろ。もしカルラの『力』が悪用されたらまず国家転覆の危機だからな。お前を野放しにできない理由がわかったか」

国家転覆。

突然出てきたスケールの大きな単語に一瞬息を呑み、そして諦めたように息を吐く。
「…あなたが言ってた『めんどくさい』の意味も、わかった気がする」
「だろ?皇族しかは入れない場所に記憶喪失で倒れてたカルラ族だぞ。ラシータも言ってたが究極に意味深で繊細で複雑な出来事なんだ。俺みたいな一騎士には手に余るものすごく困った事態だ。わかったらお前も一緒に困れ」
「最初から困ってるわよ、こっちは」
「なんでだ」
「だから記憶喪失なんだってば」
「あーそうだったな一瞬忘れてた」
「…あなたこそ頭大丈夫なの、ソレ」
間の抜けた会話を淡々と続けていると、いつの間にか光は消えていた。遠くにこちらに近付いてくるラシータの姿が見える。
「終わったみたいだな」
ラシータに視線を向けながらジルは目を細めて言った。
その横顔を見ながら、少女は疑問に思ったことをふと口に出した。
「…ねぇ」
「ん?」
「…もし私が『力』とやらであなたに危害を加えたらどうするつもりだったの。あなたは『力』は使えないんでしょう?私が怖くないの?」
「怖いとかそういう以前にあいつを守るのが俺の仕事だからなぁ。悪い言い方だが俺はお前を簡単に試させてもらったんだよ。俺一人になったときどんな行動をとるか、とかな」
「試したって…」
つまり、ジルは自分がどうなるのかわからない状況に自ら身を置いたことになる。恐れる様子は微塵も見せずに。
疑ってばかりで悪いな、と苦笑いしながら付け加えられ、少女は改めて隣の青年を見る。

この国の皇子という少年と、それにたった一人で供する騎士崩れの男。

(…一体、どういう人たちなんだろう)

自分のことすらわからない少女にとって、彼らの存在は不思議に思うことばかりだった。








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